男という名の正義とはなんなのだろうか?


男という名の正義はいったい何なのだろうか。

僕が最も卑怯だと感じるのは、「正義」や「男らしさ」を振りかざしながら、自分の言動には一切非を認めず、決して謝ろうとしない姿勢だ。


ある話し合いの場で、僕は「一言説明が欲しかった」と伝えた。

それに対する返答は「それなら私はサークルをやめる」と、突然の言い切りだった。話を遮断し、自分だけが決定権を持つような態度に感じた。


後の話し合いでも僕は「元通りになれば」との願いを込めて、「サークルにも戻ってきてほしいし、僕もオープンチャットに戻りたい」と伝えた。

しかし返ってきたのは、「戻りたいなら戻ってもいいよ」という、まるで“許してやっている”かのような物言いだった。


そうやって人には選択を迫っておきながら、自分は常に高い位置に立ち、安全な場所から物を言っているように感じた。


ある人から聞いた話では、僕が戻らなかったことでその人はかなり激高し、到底、冷静とは言えないような様子だったという。

そういう怒りをぶつけられる側に、何の権利があるというのか。

事前に説明もなく人を連れてきた側に、説明を求めただけの僕が責められる筋合いがあるのだろうか?


そういえば、問題が起こる前のあるサークル活動日にも違和感はあった。

例の人が楽器を演奏したり歌う場面では皆が真剣に聞いていたが、僕がウクレレを弾いたりカラオケで歌った時には、急に私語が目立ち始めた。

それが偶然だったのか、意図的だったのかは分からない。

でも、空気の中に明らかな“差”は存在していた。


「男が一度言ったことは実行すべき」などという言葉を人に向けて放つならば、

まず自分自身が発言や態度に責任を持ってほしい。

自分に都合の良い“正義”をかざして他人を追い詰めるような言動は、正義とは言わない。


残念ながら、それが僕の感じた結末だった。


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ホームぺージをご覧頂きありがとうございます。ひとやすみの家です。ひとやすみとは普段の日常生活のストレスや仕事のストレスをこのサークルの時間だけでもひとやすみ出来るようにしよと名付けました。立ちあげた経緯はすでに出来上がっている人間関係に飛び込む事が苦手で、ならいっその事自分で立ち上げました。

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